フラットにあれ

 お買い物に行き、たくさん服を買う。自分が好きだと思うお洋服を着て、もっと強くなりたい。

 

 両親と一緒に住んでいる。母親の価値観に影響されていることの多さに気づき、驚く。私は今でも、服を買うとき、母親が私の選んだ服をどう評価するかと想像してしまう。母親は倹約家で、着道楽があまり好きではない。かと思いきや、私が服を買ってきたのを見て、「いいなあ~お母さんも行きたいなあ~」と言っている。しかし、私の家計簿を見たらぶっ倒れることだろう。無職の人間の金の使い方ではないからである。

 「あんたは金が貯まらないね」と母親は言う。節約できない人間を、母は馬鹿にしている。このたび両親は、分譲マンションを貯金で買った。私と弟を育てるために払った、想像もできない金額を思う。

 いやでもな~その貯金に対する情熱は尊敬するけど、なんかな~買い物するたびに母はどう思うだろうって怯えてるのがやなんだよな~。それで、脳内で母のことを攻撃してしまう。「このケチ!」って。

 実際私は現在稼ぎが少ないので、心配?するのは仕方ないと思うけど、でも母って自分以外の価値観まじで理解できんみたいな鉄壁の保守性を感じるんだよな……疲れ……。早くお金稼いで家を出るか……。

 

 でも思ったんだけど、すべてのことはもっとフラットに存在するんじゃないかなって。私は母の価値観に傷ついたり振り回されたり攻撃的になったりするけど、もっとこう、私と母は別の世界にいて、干渉しあうものではないのかなって思った。だって、生き方も考え方も心の感度も違いすぎるしな。

 昨日の夜、母に「新しい職場に行って、お客さんとか上司とか同僚とか、人間関係を敏感に感じ取って辛い……」と言ったら、「そんなに敏感で辛くないの?もっと鈍感に生きなよ!お母さんみたいに」と言われ、イラッとして「そういう鈍感な人生ノーセンキューなんで大丈夫」と言ってしまう。でも私の敏感さを不要なものとして否定したら、私の人生全否定じゃない?25年育ててんだから、もっと私の敏感さを慈しんでよ……と思ってしまうが……。私は自分の敏感さを愛して行きたいんだよ。どうにもならんもん。めんどくせえと思いつつ誇りに思ってるもん。

 

 でも私と母は対立するものでもないんだ。私も母を否定せず見下さず馬鹿にしないようにしよ。お互いそこにただあるだけなんだ。