皿洗いと和解

 先日皿洗いと和解したいと書いてから、5食連続家族全員分の皿を洗っている。えらすぎ!有言実行!天才!もしかしてこの日記、私の人生に良い影響を与えていますか??ありがとうはてなブログ……愛……。

 

 就職活動、順風満帆とは言い難くて、しょんぼりしている。当たり前か~。私十社送ったら十社通ると思っているとこあるもんね。転職エージェントによると二割通れば良い方らしいですよ。先週は働きながら履歴書書いたりしてやることがいろいろあったので、いけいけどんどんなアッパーな気分だったのだけど、この三連休で待つだけの時間を経験し、少しダウナーになっている。もっと何かしなきゃ!みたいな焦りもある。「私天才すぎるからはよ東京いかな!」って気持ち1/3、「東京なんて行ってもどうにもならんよ実家にいれば?」って気持ち1/3、あとの1/3は知らない土地に行きたい好奇心。転職エージェントに「なんで東京住みたいの?」と訊かれ、「関西は住んだことあるから、住んだことないところに行きたい!」と言うと食い気味で「住んだことある土地じゃなくて!?」って言われたので、もしかして私が思っているよりも知らない土地に行きたい派は少数派なのかもしれん。

 

 さっき読んだ作家のインタビューで、書けない状態のことを「サイドブレーキは上がっているのにアクセルをベタ踏みしている」と表現していて、わかる~と思った。精神科医に「部屋の掃除をしなさい」と言われ、掃除をしたら書けるようになったらしい。わたしもちょっと物捨てようかなあ。東京行くし。実家も引っ越すし。

 小説が書けそうで書けないという微妙な感じ。あとひとつピースが埋まったら書けそうなのに。とりあえず文章を書きたい気持ちを発散するために、こうして日記を書いている。日記も「執筆活動」って呼んでいいよな?日記に使うエネルギーが1だとしたら、小説に使うエネルギーは10なんですけどね。

 焦ってるのは事実だよ。だって私大手の会社に採用されるような立派な経歴ないもん。3年間、田舎でスーパーのレジ打ちしてたよ。中途採用だったら、即戦力が欲しいのわかるよ。25歳の中途採用を今から育てるのなんて面倒臭いよね。でも私にとって必要な3年間だったよ。地獄の底で、かつて人間だったバケモノに会ったりとか、失恋とか、クリエイターなんて無理だよっていう田舎の圧力とか、全部いとしいと思っているよ。親にちゃんと子離れの時間を作ってあげることもできたし。妖怪壺の人にも、画家にも、ラスボスにも出会って、同人時代の友達が「文章の仕事しなよ」って電車で4時間かけて田舎まで会いに来てくれて。これは私が忘れないようにここに書いている、すべていとしい記憶、忘れないでいて。

 

 怖いよ、本当はとっても怖い、でも大丈夫って言い聞かせている。画家が、「もう人生崖っぷちだーと思っても、崖の先から細い道が見えてくることがあるよ」って言っていて、崖の先端まで行ってみないと見えない景色があるんだ。あと「急に霧が晴れて、崖が30センチしかなかったって分かったりする」と言っていた。そっかあ。そういうこともあるよね。画家に出会えてよかったな。

 

ポワポワの眉毛綿毛

  昨日は履歴書を書いたので日記をサボった。あと、家族が夜誰もいなかったので、一人で画家おすすめの海鮮定食を食べに行った。旨かった。「ご飯の量、大中小どうしますか?」と訊かれ、勇気を出して中にした。私は拒食ってからずっとご飯を小にしていたので嬉しい。そういえば一昨日は初めてステーキを食べた。家族でずっと通っている肉料理屋さんがあって、ステーキがメインのお店なんだけど、私はずっと拒食ってたのでステーキを食べるのが怖く、ずっとアラカルトばかり頼んでいたので、ようやくステーキを食べられて嬉しかった。しかし、ごはん中を食べていたときも、ステーキを食べていたときも、「気分悪くなったらどうしよう」という不安はうっすらあった。私はこの緊張感から離れられる日は来るのだろうか。

 

 ここまでは3月9日に書いたもの。ここからは3月11日に書いたもの。

 

 皿洗いと和解しなければならない気がする。皿洗い、作業としては嫌いではないから、皿洗いのこと嫌いではないと今まで思ってたんだけど、廃棄された食べ物の残り(ソースとか脂とか)に触るという行為が嫌すぎる。多分ケガレの感覚に近いんだと思う。髪の毛だって、頭皮にくっついてるときはありがたがるけど、床に落ちてるのは嫌やん?皿に残ったソースも食ってるときは重宝するのに、場所がシンクの中になった瞬間嫌。大学時代、一人暮らしをしていたときも、排水口掃除が嫌すぎて、固まった油(なんか灰色くてブヨブヨしている)によって排水口を詰まらせたことがある。でもなんかこの感覚のまま生きるのは嫌なので、皿洗いに対してケガレの感覚をなくしたいな。汚れ物と自分が地続きじゃないまま生きるのは、フェアじゃないというか……なんだろう。生きていれば汚れ物は出るのに、それを自分の領分内にないもののようにして扱ってるのはよくない気がする。今まで大して皿洗いせずにいられた環境もありがたがらなければいけないのだが。ありがとう、実家……。一人暮らしのときは拒食ってたのでほとんど皿洗い必要なものは食っていなかった。食べものに対するうっすらとした拒否感と、残飯に対するケガレの感覚は繋がってる気がするし。

 

 髪切った!!!バッサリ!!!3年ぶりくらいのショートやね。ショートしたことないと思ってたけど、そういや大学卒業するときに切ってたあれはショートか。私は自由になりたいとショートにするらしい。わかりやすい人間なので。身軽になった感じがする。もっとしなやかなビジュアルになりたい。余計な贅肉をすべて落として。若い馬みたいに、草原をどこまでも走れそうな姿になりたいよ。

 

 オリーブベージュにしてくださいと言ったので、三日後くらいには柔らかな黄金の毛並みになっているのではないだろうか。私は髪が細くて色落ちが秒なので、ダブルカラーの時は最初は真っ黒になるくらい染めてもらう。今は違和感しかないので、いいか悪いか正直よくわからんけど、まあいいでしょう。長らく通っている、腕のいいお姉さんなので。

 

 そいや昨日眉毛サロンに行ったんだけど、かなり剃られて、眉尻がほとんどない。これ……いいのか?私は長めの眉が好きなんだけど。でもアイリストさんの気持ちはわかるんだよ。私は眉頭と眉尻で全然毛質が違って、眉頭は剛毛だけど、眉尻はポワポワのたんぽぽの綿毛みたいな舐めた毛しか生えてこない。しかも左右非対称で。だから剃っちゃった方がいいよね?ってなるの

はわかる。わかるんだけど、最初に見せてくれた仕上がりイメージよりだいぶ剃ってませんか?

 削られた分、眉尻を足さなきゃならないので、眉毛描く時間が短縮になったとは正直あまり思わんが、綺麗になったのは確かなのでありがとう。なんだかちょっと都会的なキリっとした眉で、しごできの人みたいになったよ。どうもありがとう。でも次は新人さんじゃなくてベテランに頼もうかな?

明日はカレー

 ほんと~~~にムカつくけど、お母さんは私と25年も一緒にいるのに一度だって私の才能を認めてくれたことがない。去年ちらっと「看護師になろうかな…」て呟いただけで看護学校のこと調べてくるのに、4歳から絵本作家になりたいって言ってるのに、一度も作家になる方法を調べてくれたことはないと思う。10歳のとき、諭すように「小説家は波瀾万丈な人生を送った人しかなれないんだよ」と言った。ので、人生の選択に迫られたら常にデンジャラスな方を選ぶようにしている。おかげでお母さんの想像もできないようなデンジャラスワールドを垣間見たりして生きています。どうもありがとう。私のデンジャラスエピソード、お母さんが知ったら発狂しそうですね。墓場まで持っていく……と言おうと思ったけど、面白すぎるので人に話したくなってしまい、世間にバレてしまうかもしれません。し~~~~らねっと!!

 

 母は「そろそろ就職しなよ」と言ってきたり、かと思えば私がこの春には就職するよ、って言えば「そんなに楽観視してていいの?そんなに簡単にいくわけないじゃん」と言ってくるのマジでなんなの?東京に行くつもりだってことをお母さんに言うのをすっかり忘れていて(反対されるからあえて隠していたともいう)、「アンタ東京なんて言ったって、物価も高いしアパートだって、敷金礼金払えるわけないじゃん!」って言ってくるのなんなの?お金の話して、自分の方が正しいみたいな顔してるけど、一番言いたいのそれじゃないよね?めんどくせえ女。私にずっと自分の想定内で生きて欲しいんでしょう。

 「東京で会社が合わなくて三ヶ月で辞めたらどうすんの?また引っ越してるお金ないよ?」って言われてうるせーと思った。なんてネガティブなんだ。ていうか合わなかったら帰ってくればいいじゃん。

 

 東京に行ったら、元カノから買った車は手放すことになるだろうなあ。人にあげようと思っていたけど、事実、今金がないので、売ってお金にしたほうがいいかも。元カノから買った、なんて因縁が強い乗り物は、知らない人に乗ってもらった方が逆にいいかもね。ていうかマジでお金はない。

 

 大学時代、人生最大に母が好きだった。世界で一番最高の女だと思っていた。あのとき、私は社会に溶け込めなかったのよ。母みたいになりたかった。私は社会という海の中で溺れていて、母みたいなヒトになればもっと楽に呼吸ができると思っていた。父もそういう気持ちで母と結婚したんじゃないかな。母と一緒にいると、繊細な感性は全て無視されるけど、社会では鈍感なほうが生きやすいから。この前、母に「そんな繊細すぎて生きづらくない?もっとお母さんみたいになった方がいいんじゃない?」と言われ、「いや、そういう鈍感な人が送る人生ノーセンキューだわ」と言っていた。反抗期である。ていうか子離れして。

 

 明日の夜は父も母も家にいない。一人でカレーでも食べに行こうかな。

夢は世界平和

 壺の人とは地獄で出会った。支配と依存と暴力の狂瀾の渦の中で、その中心人物のメンタルケアをしていたのが壺の人だった。私は中心人物の依存性に愛想を尽かし、珍妙な壺の人に惹かれ、あれから一年、私と壺の人の師弟関係?友情?は続いている。壺の人はいろんな人物のメンタルの面倒をみているが、いろいろ大変そうである。

 壺の人を「仙人」と評したこともあるけれど、どうもしっくりこない。本人に尋ねたら「自分は妖怪だよ」と笑っていた。私は自分のことをエルフだと思っているので、その認識は概ね理解できる。私は壺の人を長命種仲間だと思っている。「きみももうとっくに“こっち側”だよ」と妖怪壺の人はまた笑った。私の夢は世界平和なので、それがエルフの仕事なのだろうと思っている。

 

 イメージとして一番近いのは化物語シリーズの阿良々木月火ちゃんである。化物語は原作一巻と、アニメ第一シリーズと、月火ちゃんの回くらいしか見ていないが。(いや八九寺真宵がグルグルに追いかけられるやつと、翼キャットは見たかも)エルフの自分と人間の自分が同居している。自分の名前がずっと気に入らなくて、ずっと私は「この名前の人間ではないのではないか?」と思っていた。体に馴染まない感じ。でも去年の梅雨あたりに、フルネームの中に古い女神の名前が入っていることに気づいて、妙にしっくりきた。ちょうど私が自分の名前を愛そうとし始めた頃でもあった。両親はちっとも私を理解しないけど、私にふさわしい名前をつけだもんだなぁと思った。壺の人は「エルフの人格と人間の人格がようやく融合したんだよ」と言った。「得難いことだね」とも。

 

 化物語シリーズで一番好きなキャラは臥煙伊豆湖氷菓シリーズで一番好きなのは折木供恵。なんでも知っている謎めいたお姉さんが大好き。ちなみに二人ともCV雪野五月。私もCV雪野五月みてえな女になりたいな……。いつか。ちなみに付き合いたい女はCV能登麻美子である。

 

 転職エージェントの職員に「あなたってほんと素直で真っ直ぐで、自分の芯を曲げられなくてどうにもならないんですね(大意)」と言われる。褒めてくれているが、私のどうしようもならない部分も理解されている。すごいぜ。

 

 早く東京行ってお金を稼ぎたい。お金持ちになったらマツパと眉毛サロン行って、毎日ファンでしか塗らないでいい生活をしたい。美はすべて外注しよう。(ガイチュウって打ったらゴキブリの絵文字出てきたんやけど……)あと、またSK-IIを買いたい……。SK-IIには優しい思い出があるんや。でもあれさ、夏場はどう足掻いても納豆のにおいがするんだよなあ……。冷蔵庫にでも入れておいたらいいのか?

 最近着飾るのが楽しくなってきました。組み合わせなので、パズルみたい。愛するフリーランスお姉さんたちがみんな口を揃えて「おしゃれな方が仕事が来る」と言っていて(外見評価社会の良し悪しはともかく)おしゃれになりたいなと思う。中途採用の面接ってどんな服を着たらいいんだろう?推しの店で買った古着でええか?勝負服だし。

 

 「思考は現実化する」というのが量子力学らしい。最近私のまわりで量子力学がホットな話題で、壺の人も、画家も、ラスボスも量子力学の話をする。私は、「はぁ……」と思った。よく分からないが、壺の人は「『思考は現実化する』だけ覚えておけばいいの。あなたはそのまま『思考は現実化する』を実践し続けて」と言ったので、そういうことにしておく。そのうちナポレオン・ヒルを読もう。就活終わったらね。

大いなる地図

  職場にいる大好きな画家は、今週一週間ずっと仕事を休んでいた。大丈夫かな。病気じゃないといいんだけど。クライアントに呼ばれてフィンランドに行っちゃったんだろうか。ムーミン好きって言ってたし、ムーミンに会いに行ったのかなあ。さみしいなあ。私に「それは世界がアンサーを求めてるんだよ」と特大のヒントを出してくれた人。恩人ともいう。また会いたいな。もう会えないかな。

 

 職場の正社員に推しがいるのですが、私にしては珍しく男性の推しである。しかもおそらく年下。なんでこんなに推しなのかはよく分からないんだけど、彼の幸せを願っている。なぜだろう……そばかすかな?

 

 髪の毛を切ると決めているが、どれだけ切るか一生迷っている。自撮りと鏡ってどうしてこれだけ顔が違って見えるんだろう?自撮りをするとめちゃくちゃ顔が縦に長く見えるんですよね。だから面長なのをカバーしようカバーしようとばかり思ってしまうんだけど、鏡見るとそんなに気にしなくてもいいんじゃない?と思ったりする。半年ぶりにブリーチするので楽しみである。グレージュにするか、オリーブベージュにするか未だ決まっていない。

 

 先週の土日に東京に行き、東京に住もう!と思い立つ。人生に一回は住んでみたいので、このまま住まないと後悔しそうだし。というか、ラスボスみたいな人に「あなたに東京は絶対無理よ」と言われたので、ラスボスを倒す=東京に行くことなのかなと思ったわけ。違うかもしれんけど。とりあえずやってみんと分からんし。

 東京に行くには先立つものがないと無理なので、就職することにした。今まで気になってはいたけど、なんとなく自分じゃ無理だろうな……と思っていた業種に応募してみる。どっか頭の片隅にはいつもあったけど、いやいや無理でしょ……と思っていた仕事。一昨日の深夜に応募して、明日隣県の転職エージェントに会いに行くことになった。昨日履歴書送った。元気かよ。私の自分の底から溢れる謎のパワーのことが大好き。去年の二月に、そういえばなんの脈絡もなく、「鎌倉に住みたい」と騒いでいた。桜庭一樹の『荒野の恋』の舞台が鎌倉だからである。その後、『鎌倉殿の13人』にハマる。鎌倉への想いが募る。そのうちね。そのうち住みたいである。

 今日は金星と木星が近くに出ている。数十年に一度らしい。明るい星が二つ、神社の大杉の影から見えた。綺麗だったな。

 皆既日食のとき、「層がずれたね」と壺の人が言っていた。私はあれ以来、レッドムーンのような昏くうつくしく恐ろしい話が書きたくて堪らなくなってしまった。

 

 今、父に大手の会社受けるって言ったら、名前聞いた瞬間、ちょっと無理じゃない?って言ってくるムカつく~~~!父はいっつもネガティブ!私の才能を信じていないな!?これで落ちても別に才能がないだけじゃないんで。神が順当に私が踏むべきステップを踏ませてくれてるだけなんで。努力不足?いや私の努力が足りなかったことなんて一度もないから。もっとこうしておいた方が良かったな~とか、まじで存在しないから。私は人生の大いなる地図を知らないだけで、面接に落ちても私の失敗ではなく、地図の一部であるだけなので。成功も失敗もないんでね。

デウス・エクス・マキナ

 今日の天気があまりにも軽やかな春だったので、結婚するなら結婚記念日は3月がいいなと思った。江國香織の小説『きらきらひかる』をオーディオブックで聴きながら歩いていたので、唐突にそんなことを思ったのかも。「結婚」というワードが出てきたので。なんとなく恋人が欲しい気分である。私がまだ、体と心を他人に預けることができるかどうか試してみたい。最近、全然他人に心を預けてないので。

 

 昔、信頼しているおともだちに、「あなたの書く小説は、早春の夜明けみたいだね」と言われて、それから私は春が大好き。長く冷たい冬の終わりに、植物たちが目醒めるときの苛烈がエネルギーを感じる。気怠い憂鬱さと、遠くに見える微かな希望を、昔はずっと書いていた。二十歳のころ。五年前の話。あの頃の私はずっと、冬の乾燥した冷たい風に吹かれているような気持ちで、寄る辺なくて、乾燥した心から常に血が滲んでいた。ここは自分の居場所じゃないと思いつつ、どこに行けばいいのか分からなかった。レールに乗って、順調に来たはずなのに、本能ではこんなところに来るはずじゃなかったと思っていた。親の庇護下にあり、レールから外れる力もなく、ただ自分の体を痛めつけていたときだった。まともにご飯が食べられなくて、肉体は弱っていくばかりだった。レールに乗っていくには、体を少し弱らせないといけなかった。元がパワフルすぎるので、この精神に無限の体力があったらポーンってレール外れてどこまでもとんでいっちゃうんだもん。ボールみたいに。だから自分の心身を傷つける幼い少年の話ばかりを書いていた。私にとっては必要なセラピーの過程だった。

 

 そういえばあの頃、江國先生好きそうだねって何度か言われたんだよな。あの頃は大人向けすぎてよく分からんかったんだけど、今『きらきらひかる』を読んでて良すぎて震えている。これに夫の恋人の大学生の「紺」って名前の男が出てくるんだけど、音声で聞くと漢字がわからないので「コン」という音だけ残る。そしたら空耳して「テン」と聞こえて、隣国の某人気アイドル、威○のtenさんの顔で脳内再生されるようになってしまった。でもこれが本当にベストヒットなので、『きらきらひかる』を読んだことがあるひとはぜひ脳内映画でキャスティングしてみてほしい。最高なので……。

 

 私は生命として強そうな人物が好きなので、私より背の高い体格のいい男にときめくものの、結婚するとなると自分よりも圧倒的に力のある生物をパートナーに選ぶのは怖い。というアンビバレンツな感情がある。例えば夫がさ、もし泥酔したり、変な薬飲まされて錯乱したり、歳とってボケたりしたときに、自分より圧倒的に力がある人物だと怖くない?でも自分より圧倒的に力がある男の庇護下に入って守られたいという女の気持ちもわかる。庇護下といえばさ、ドラマ『エルピス』において、不安定な立場に置かれた女子アナ浅川が、社会的生物的強者である斉藤という男に抱かれ、安心していたのめっちゃ生々しかったよね。不安定な女の子ほど、強者に愛されたくなるんじゃないかな。

 強者に愛されたい、その気持ちはなんとなくわかる。自分が真っ当な社会のレールを歩めないと自覚を始めた二十歳の頃、圧倒的強者の男に愛されて結婚して、強制的にメインストリームに繋ぎ止めておいて欲しかった。理想的な男と結婚したら、文章を書くのも、小説家を志すのもやめることができるだろうと思っていた。まあそうなならんかったんやけど。当たり前か。あの時期恋愛で痛い目みておいてよかったですよ。所詮、結婚は人間関係の延長でしかない。すべての悩みを解決する魔法アイテムじゃないってことがわかったので。

 

 そんなわけで、体格差のあるカップル苦手になっちゃったんだよな。現実のカップルは当人たちが幸せならそれでいいんだけど。(でも小柄な友達が巨漢の男と結婚したら「この人酒癖悪かったりしないよね??」ってめっちゃ聞くとおもう)でも自分より大きな生物って本能でびびる。自分より小さい人に悪態つかれるのと、自分より大きい人に悪態つかれるのだったら、大きい人の方が怖いもん。

 

 そういやツイッターで「モラハラしてくる人のモラハラ発言を減らすには、会話を減らすのが一番いい」という情報を見て、とにかく丁寧な説明や合槌をカットして冷静なAIみたいな対応をしてたら、騒いでいたおじいさんが「スンッ……」ってなって、最後「ありがとうございました……」って静かに帰っていった。どういう心境の変化だったのか全くわからんが、30秒に一回舌打ちと溜息と愚痴をかましてきて怠かったのでよかった。どういう心の動きか全く分からん教えてくれ。

 

 はてなブログをはじめてもうすぐ一ヶ月。なんやかんやいいねしてくれる人がいて超うれしかったんだけど、いいねしてもらえないと寂しく感じるようになってしまいました。いいね貰えないと今日の話つまらんかった!?ごめんね!?とか思っちゃってたけど、いいねするって面倒臭いよね。面白いと思ってくれてても、面白いって思ってくれてる人はどこかにいるでしょう!読んでくれただけで嬉しいわ。と思ったので、あんまり気にせずやっていこう。

 

 画家が「次々受賞して、実力がついたんだな!と思ってたら、その後数年間箸にも棒にもひっかからなかった。受賞するかしないかは個人レベルの思考では分からん。人生には私の知らないところで神の設計図があるから、深く考えず気楽にやることにした」と言っていて、まったくそうだな……と思った。この日記も、みんながどんな話を面白いと思うかよく分からんので、適当に書いていきます。

浜辺に打ち上げられた白骨死体たち

 今日、同僚の画家が仕事を休んでいた。もともと出勤予定の日だったから、心配である。

 人生はRPGだから、と画家は言っていた。画家の母はとても彼女の画業を応援していたようだけど、父親には猛反対されていたらしい。「人生はちょうどいい塩梅に難易度設定がされていて、手放しで応援してくれる人はいつまでもそばにいてはくれないんだよ。だから母は早くになくなっちゃった」と言った。

 私のRPGにおいて、画家は特大ヒントをくれた。世界はぼんやりとしか行く末を指示してくれないのに、画家の直接的な言葉はネタバレレベルの大ヒントである。ミステリだったらアウトである。きっといつまでもはっきりしない私に世界がイライラしてるような気がする。RPGだったら隠遁した伝説の仙人のようなアドバイスをくれた画家だが、ゲームだと大体こういうキャラと死に別れる。だから私は、画家とはあんまりずっとはいられないような気がする。そりゃあ死に別れはしないだろうけどさ、画家が急にクライアントに呼ばれて南極に行っちゃうとかさ。さみし~。画家とはまだまだ一緒にいたい。

 でも、本当にこれで画家としばらく会えなくなったら、私の人生がまさにRPGで、私が行くべき道を選んでいることの証明になってしまうな。

 

 久しぶりに唇の皮むけが止まらない。顔を洗ったあと、剥けてボソボソになった皮が唇に張り付いていて、正直なんだか黒い。ずっと見ていると、赤い浜辺に打ち上げられた白骨死体群みたいである。いつものことなので、保湿して、あとは気にしすぎないようにしている。そのうち治るから。でもときどき、このまま唇の皮が剥がれ続けて、とうとう剥離する皮膚もなくなり、唇からとめどなく血を流し続ける人間になったらどうしようと思うこともある。食うことも話すこともできない生き物に成り果てるのか。

 

 五十年間住み続けた家を取り壊したときの母の様子を、娘がSNSに書いていたので、興味深く読んだ。夫婦で過ごした家を愛していたが、夫を亡くし、老いて、子と同居することになったので、家を取り壊すことにしたそうだ。五十年愛した家が失くなったときの気持ちを、私は想像することができない。この娘は、追記で、「一生あちこちを転々としたり、旅したりする人はいるけれど、どんなに自由に旅をしていても、土地に根を張って生きる人が生産したものによって生きていける」というようなことを書いていた。それは本当にそう。私も土地に根を張る人の作った米とか卵とかキャベツとか食って生きている。でもその代わり、私は土地に根を張らない人が作るものを作れるんじゃないかなと思う。

 両親が中古マンションを買ったんだけど、母と弟がリフォームに真剣で、私と父はリフォームに全く興味がない。私一人だったら、買った状態のままに住んだと思うな。母と弟は土地に根を張る人なんだと思う。そんな人たちが今まで賃貸アパートに住んでたのは、私が想像できないくらい辛いことだったんじゃないかな。賃貸のほうが合理的とか、そんなことは関係ないんだよね。本人の性質の問題。体に馴染む思想というのはあるよね。

 

 父、この一戸建てを建てて一人前という圧力の強い田舎を完全無視して、ずっと賃貸に住んでたんだよなあ。多分私寄りなんだよね。